大判例

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東京高等裁判所 昭和48年(ネ)888号 判決

控訴人(原告)

金高喜次良

被控訴人(被告)

小野塚裕彦

ほか一名

主文

原判決をつぎのとおり変更する。

被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して二八九万三六三一円およびうち一三〇万五〇〇〇円に対する昭和四六年九月二八日から、うち一三三万八六三一円に対する昭和四七年九月二八日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを一〇分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人らの各負担とする。

この判決は、控訴人の勝訴部分につき仮に執行することができる。

事実

一  控訴代理人は、「原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して二〇〇万九九六五円およびうち三七万六九七八円に対する昭和四六年九月二八日から、うち一三五万二九九一円に対する昭和四七年九月二八日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。控訴費用は、被控訴人らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め(当審において請求を拡張)、被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。当審において拡張された請求を棄却する。」との判決を求めた。

二  当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用および認否は、つぎに付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人)

1  原判決四枚目―記録一六丁―表五行目以下の「休業損害」の項目をつぎのとおり改める。

「休業損害 四七万六九七八円

控訴人は、事故から後遺症認定時までの間に、合計七一日間勤務等を休んだ。すなわち、(1)事故から昭和四五年一〇月一日までの入院に代る自宅療養二一日間。控訴人は、事故当日の午後一時ころ、自宅の近くにある今関病院に行き、医師から、本来なら入院すべきであるが、ベツドが満員なので、自宅での安静につとめて通院するようにとの診察をうけ、それ以来、一〇月一日までの間、自宅で入院に代る療養につとめた。この間、通院等のやむをえない場合を除いては、終日ベツドに臥し、週刊誌すら読めない状態であつた。事故当日を半日の休業とし、また、九月三〇日は重要な職員会議のため、半日の出勤をしたので、合計二一日の休業となる。(2)昭和四五年一〇月二日から同年一一月九日ころまでの自宅療養一二・五日間。控訴人は、昭和四五年一〇月二日から出勤を始めたが、頭痛、発熱が続き、帰宅するとすぐベツドに臥し、昏睡状態におちいる有様であつた。そのため、同年一一月九日ころまでの間は、あるいは有給休暇をとり、あるいは研修日、日曜・祭日をあて、これらの日は終日安静にして療養につとめた。よつて、これを合計すると一二・五日の休業となる(一〇月一九日は半日として計算)。(3)昭和四五年一一月九日ころから後遺症認定時までの間の通院による休業三七・五日間。右の間、控訴人は、三楽病院に一五〇回の通院をした。一回の通院に要する時間は、少なくとも四時間を要するので、全部で六〇〇時間を費やしたことになる。一日の活動時間は約一六時間であるから、三七・五日の休業とみなしうる。

以上を合計すると、七一日間の休業となるが、控訴人の一日の休業による財産的損害は、当時の年収二四五万一六八〇円を三六五日で割つた六七一八円であるから、合計四七万六九七八円の休業損害となる。」

2  原判決六枚目―記録一八丁―表三行目のつぎに行をかえてつぎのとおり加える。

「かりに、右の主張が認められないとしても、控訴人は、つぎのとおりの損害をうけた。すなわち、控訴人は、昭和三七年から同四五年ころまでの間に多くの学翌参考書等を単独または共同で執筆していたほか、新聞、雑誌に寄稿し、各種の講師、委員等をつとめ、日本地理学会ほか三学会に所属して活躍していた。ところが、本件事故以後は、後遺症のため、このような活動のほとんどを中止し、また、あらたな執筆や講師等の依頼を断わらざるをえなくなり、高校教師としての本来の勤務だけで精いつぱいの状態となつた。これらの活動には対価のないものもあるが、原稿料等の副収入は、優に給与収入の一四%を越えていたのであつて、これらの副収入のほとんどを得られなくなつたから、昭和四六年から四年間の逸失利益の合計は、右と同じく一二三万八六三一円を下らないものである。」

3  原判決六枚目―記録一八丁―裏六行目以下の「弁護士費用」の項目をつぎのとおり改める。

「弁護士費用 三七万九九九六円

被控訴人らが控訴人の賠償請求に誠意ある回答を示さないため、控訴人は本訴の提起を余儀なくされたもので、昭和四七年一月一〇日、弁護士的場武治との間に、着手金一〇万円、成功報酬を認容額の一〇%とする訴訟委任契約を締結した。よつて、控訴人は、合計三七万九九九六円の支払いをしなければならなくなつたが、これは、日本弁護士連合会の弁護士報酬規定に照らしても合理的やむをえない負担である。」

4  原判決七枚目―記録一九丁―表六行目の「支払を受けた」のつぎである「。」を削除し、「ほか、昭和四八年九月二八日、原審で認容された一一七万円およびうち一〇七万円に対する昭和四六年九月二八日から同四八年四月二四日までの年五分の割合による遅延損害金を加えた一二五万四一四三円の支払いを受領した。」を加える。

5  〔証拠関係略〕

理由

一  原判決事実摘示請求の原因(一)のうち、傷害の部位程度および後遺症を除いたその余の事実は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、傷害の部位程度および後遺症は、控訴人主張のとおりであることが認められる。

二  本件事故に関し、被控訴人義雄は加害車の運行供用者として自賠法三条により、被控訴人裕彦は不法行為者本人として民法七〇九条によりそれぞれ控訴人の人身損害を賠償する責任があることは、被控訴人らの認めるところであるから、右両名は連帯して後記認定の損害を賠償すべき義務がある。

三  そこで、休業損害についてみるに、〔証拠略〕によれば、控訴人は、本件事故によつて、その主張するとおり、昭和四五年九月一〇日から同年一〇月一日まで二一日間、自宅で入院に代る療養をしたほか、昭和四五年一〇月二日から同年一一月九日ころまでの間に一二・五日間、自宅で療養につとめ、また、昭和四五年一一月九日ころから後遺症の認定をうけた昭和四六年九月二八日までの間に一五〇回にわたり通院治療し、これに要した総時間六〇〇時間を一日の活動時間を一六時間として日数に換算すると三七・五日に相当することが認められる。

ところで、〔証拠略〕によれば控訴人(大正一〇年三月一〇日生)は都立三田高校の社会科(人文地理)の教諭であつて週一七時限程度の授業を担当していたものであるが、自宅での療養はいずれも有給休暇、研修日および日曜・祭日を利用してなされ、また、通院は、平日に他の教師の協力を得て授業時間の差し繰りをしたうえで手空きの時間をこれにあてたため、欠勤扱いにはならず、したがつて、給与等の減額はなかつたことが認められる。しかしながら、右有給休暇等を利用しなければ療養のために勤務を休まざるをえなかつたであろうことは見やすいところであるし、有給休暇は労働者がその日の労働なくして給与の支払いをうけ自己の有意義な目的または労働再生産のために利用しうる日であり(労基法三九条参照)、また、前記供述によれば、研修日というのは、控訴人が高校教師として年間テーマをきめ自宅で研究またはその準備にあてることのできる日であることが認められるところ、右有給休暇や研修日をその本来の用途にあてることができないでもつぱら療養につとめなければならなかつたというのであるから、当該日数を休業日数と同様損害額の評価につき考慮すべきである。これに対し、日曜・祭日は、本来勤務を要しない日であるが、控訴人の当審における供述によれば、控訴人は、事故以前は、日曜・祭日であつても、研修日と同様、ほとんど自己の専門である地理関係の資料収集のために旅行に出かけていたのが、事故後は療養のためそれが不可能となつたことが認められるから、有給休暇および研修日と区別すべき実質的理由をみいだすことはできない。また、通院は、右にみたように、授業時間の差し繰りによつて生じた時間をこれにあてていたもので、通常の業態であれば当然に欠勤せざるをえないところであるばかりでなく、控訴人としても、通院がなければその時間を教師としての研修等のほか、後述するような幅広い活動にもあてることのできたことが認められるから、これまた、その時間数ないし日数を損害額算定につき考慮すべきものとみて妨げがない。

このように、控訴人は、本件事故のために、本来別の用途にあてることのできた有給休暇、研修日および日曜・祭日を利用して自宅での療養につとめ、また、授業の空き時間を通院治療に費やさなければならなかつたのであつて、欠勤をしないですんだのも、控訴人が教師という比較的時間の自由がある職業についていたことによるのであるところ、その損害額の算定については、〔証拠略〕によつて認められるように、控訴人の昭和四六年の年収が二四五万一六八〇円であつて、一日六一七六円となること、およびこれと控訴人の職業、療養等にあてた日数、その態様を総合的に勘案して加害者に賠償させるべき金額は一日五〇〇〇円、七一日間で合計三五万五〇〇〇円とするのが相当である。

四  つぎに逸失利益について検討するに〔証拠略〕によれば、控訴人は、前記のとおり療養を続けたが、昭和四六年九月二八日、自賠法施行令別表の等級一二級一二号に該当する旨の後遺症認定をうけたこと、および本件事故前は高校教師としての本来の職務のほかに、その主張するとおり、多くの学習参考書等を単独または共同で執筆し、新聞、雑誌に寄稿し、各種の委員、講師をつとめるなどの幅広い活動をして、少なくとも年間三〇ないし四〇万円の副収入があつたこと、ところが、本件事故による後遺症のため、これらの活動をほとんど中止せざるをえなくなつたほか、新たに依頼される原稿の執筆や講師等の依頼も断わつていることが認められる。そして、控訴人の昭和四六年における年収が二四五万一六八〇円であることは前述のとおりであるから、右後遺症による労働能力の喪失率を一四パーセントとみ(労働基準局長通達による労働能力喪失率参照)、かつ、右副収入の金額をあわせ考えるときは、年間少なくとも控訴人の主張する三四万三二三五円の逸失利益があつたものとみるべく、しかも、これが四年間継続したと考えられるので、この賠償を後遺症認定時より一年を経過した昭和四七年九月二八日に受領するとして、ホフマン式計算法により算出すると、四年間の逸失利益の合計は一二三万八六三一円となることがあきらかである。

さらに、控訴人は、昭和四六年九月二九日から同四七年九月二八日までの一年間に休業日数二〇日間相当の逸失利益が生じていると主張するので検討するに、〔証拠略〕によれば、控訴人は、昭和四六年九月二九日から同四七年三月三一日までの間にすでに有給休暇五日間、研修日一二日間を療養にあて、また、昭和四六年九月二九日から同四七年一月二六日までの間に二七回通院し、そのために少なくとも五四時間を越える時間を要していたことが認められるから、一日の活動時間を一六時間として計算すると、控訴人は、昭和四六年九月二九日から同四七年九月二八日までの間に、二〇日を越える期間を療養のため費やしていたものということができ、これを前記三と同じように一日五〇〇〇円として計算すると合計一〇万円の休業損害ありと認めることができる。

五  慰藉料についてみるに、控訴人は、上述したように、長期にわたつて入院に代る自宅療養および通院治療を重ねたが、結局、後遺症が残り、その後も治療のため通院しているうえ、後遺症による労働能力の低下のためかなりの程度社会的活動が制約されているのであるから、これによつて相当の精神的苦痛をうけていることは容易に推認しうるところであり、また、学校や同僚に対しても肩身の狭い思いをしているであろうことを考えあわせると、治療期間の慰藉料として五五万円、後遺症の慰藉料として四〇万円が相当額である。

六  〔証拠略〕によれば、控訴人は、被控訴人らが控訴人の賠償請求に誠意ある態度を示さないため、本訴提起を余儀なくさせられたこと、本訴提起にあたり、控訴人主張のとおりの訴訟委任契約を締結し、着手金一〇万円を支払いずみであることが認められるが、前記本訴請求の認容額その他諸般の事情を総合して考えると、損害として請求しうる弁護士費用は二五万円が相当である。

七  そうとすれば、被控訴人らは、控訴人に対し、連帯して二八九万三六三一円およびうち休業損害と慰藉料をあわせた一三〇万五〇〇〇円に対する昭和四六年九月二八日から、うち逸失利益一三三万八六三一円に対する昭和四七年九月二八日から、各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があると認められる。(控訴人は、昭和四八年九月二八日ころ、被控訴人らが供託した金員から原審で認容された一一七万円およびうち弁護士費用を除いた一〇七万円(内訳、休業損害一〇万円、逸失利益二万円、慰藉料九五万円)に対する昭和四六年九月二八日から同四八年四月二四日まで年五分の割合による遅延損害金を受領したことを自認するが、その趣旨は原審判決に附された仮執行の宣言に基づく執行に代えて受領したものと認められるから、右の点は当審における請求の当否の判断につき考慮しないこととする。)

よつて控訴人の請求中前記被控訴人らの支払義務の存する限度において、これを認容しその余を失当として棄却すべく、これと異なる原判決を主文のとおり変更し、仮執行の宣言につき民訴法一九六条、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九二条、九三条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉岡進 兼子徹夫 太田豊)

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